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ナプキンについて

ここでは「ナプキン」の使い方や処理方法等の知識から、安全・環境への取り組みまでQ&A形式でご紹介致します。

  • ナプキンの歴史
  • ナプキンの構造
  • 選択時のポイント
  • 処理マナー
  • 人体・環境への安全性
  • 会員各社
 
ナプキンの歴史

 
歴史1. 〜明治・大正・戦前の昭和
歴史2. 戦中の生理処理
歴史3. 戦後、脱脂綿の主役時代
歴史4. ナプキンの普及

 
〜明治・大正・戦前の昭和 ページの先頭へ >>

    984年(永観2年)に平安時代の医師・丹波康頼(912~995)が撰述し、円融天皇に献上された日本最古の医学書「医心方」の中に、月帯(けがれぬの)という月経帯が紹介されています。  

    江戸時代、生理処理用の褌(ふんどし)が馬の前垂れに似ていることから「馬」と呼ばれていた。肌に当てるのは再生和紙である浅草紙が一般的でした。  

    明治時代の生理処理は、明治21年に発行された婦人衛生雑誌「婦人衛生会雑誌」第1号に「月経時にもちゆる布片は、必ず新鮮清潔の布にて作る可し、若し古布を用いるなれば、必ず一回洗濯したものを用ゆ可し」とあります。  

    一般庶民は、日本手ぬぐいでT字帯を作り、肌に当てるのは浅草紙やボロ布を使用していました。  

    1886年(明治19年)に脱脂綿が日本薬局方に指定され、体液吸収に効果のある医薬品として普及し始め、濃尾の大震災以来、その使用が一般に普及、それまで生理処理用に肌に当てていた浅草紙やボロ布に代わって脱脂綿が使われるようになりました。  

    大正時代に入ると脱脂綿をガーゼでくるんだ生理処理用品が登場。1930年(昭和5年)にはロール式脱脂綿をカットして使用する製品が発売されました。生理処理はT字帯と脱脂綿を組み合わせていました。  

 
戦中の生理処理 ページの先頭へ >>

    第二次世界大戦で多くの物資の生産・流通が統制を受け、ほとんどが中国天津・北支からの輸入に頼っていた衛生材料用綿花は原料不足が深刻になりました。  

    1941年(昭和16年)、衛生材料は『生活必需物資統制令』に指定され、生理処理用品用綿花の割当は全くなくなってしまい、女性たちは脱脂綿の代用品としてチリ紙(京花紙など)を使用しました。  

    1941年(昭和16年)、陸軍省は、女性の生理処理用をはじめとする脱脂綿代用品の開発を商工省に依頼。商工省は製紙業界に「日本紙綿連合会」を設立させ、脱脂綿代用品として紙綿(特殊なしわ加工をほどこし表面積を増やし、経血を吸収しやすくした紙)の製造を始めました。  

    紙綿製の生理処理用品は、生理処理用品の脱脂綿代替品、出産用や歯科医の治療用などにも幅広く使われました。  

    それ以降終戦まで、生理処理用品は脱脂綿から紙綿となりました。  

 
戦後、脱脂綿の主役時代 ページの先頭へ >>

    紙綿製の生理処理用品は1948年(昭和23年)に統制が解除になりました。1951年(昭和26年)8月に脱脂綿が統制解除となり、脱脂綿は再び生理処理用品の主役に返り咲きました。  

    1950年代後半になると、カット綿が登場。脱脂綿をあらかじめ生理処理に適した大きさにカットしたもので、それまでの自分で適当な大きさにちぎって使用していた平綿に比べ、ずっと便利になり、以降、カット綿が生理処理用品の主役となりました。  

    1961年(昭和36年)2月1日、厚生省は薬事法を改正し、1948年(昭和23年)以来廃止となっていた「医薬部外品」を復活させ、紙製生理処理用品を衛生綿類と共に医薬部外品に指定、「紙綿」の文字が初めて薬事法に登場しました。  

    紙綿製の生理処理用品が医薬部外品制度に規定されると同時に、衛材各社ではカット綿と同じ形状のものを医薬部外品の衛生綿類として製品化しました。カット綿が病院、薬局・薬店でしか販売できないのに対し、衛生綿類は雑貨店、駅売店などでも販売することができたため、販路は一気に拡大しました。これ以降、生理処理用脱脂綿は、衛生綿類が主流になりました。  

 
ナプキンの普及 ページの先頭へ >>

    1961年(昭和36年)11月、女性の月経は恥ずかしいもの、隠すものといった常識を打ち砕いて、わが国の生理処理に革命をもたらしたといわれるナプキンが発売されました。  

   
1962年(昭和37年)に毎日広告社の「使用している生理処理用品の種類に関する調査」では、脱脂綿が最も多く全体の67%、紙製の生理処理用品はまだ26%でした。7年後、1969年(昭和44年)のマーケティングセンターの調査では、脱脂綿使用者5%に対し、ナプキン使用者が89%と逆転しました。
使用している生理処理用品の種類
1962年(昭和37年) 1969年(昭和44年)
毎日広告社調べ マーケティングセンター調べ
 

    脱脂綿製の生理処理用品が、経血を吸収する「吸収材」だけで作られていたのに対し、ナプキンは吸収材の他に、経血を漏らさない防漏材や、肌に触れる表面材の3種類の材料が使われていました。  

    肌に接する表面材には、親水性のレーヨン不織布が採用され、単層の防水紙にポリエチレン薄膜をラミネートした外側の防水紙の採用等で生理処理用品が薄型になり使用感が向上していきました。  

    1964年(昭和39年)に吸収体に100%綿状パルプを採用した製品が登場、大幅なコストダウンをもたらしました。  

    1973年(昭和48年)のオイルショックでの紙不足をきっかけに、多くの製品がナプキンの吸収体を綿状パルプに切りかえました。その結果、厚みが約半分のスリムタイプの製品が誕生しました。  

   
1978年(昭和53年)、初めて高分子吸収剤(右図)を使った生理処理用品が発売されました。高分子吸収剤は自重の50~100倍の経血を吸収、いったん吸収した経血は圧力がかかっても滲出しない性質を持っていることから、従来製品より薄型で、十分な吸収力を持ったナプキンを作ることができ、使用感が大きく向上しました。  
高分子吸収剤
 

   
その後、現在に至るまで、吸収量、使用時間帯などに合わせた多くの種類が開発され、消費者のニーズによる選択の幅が大きく広がっています。
現在の生理処理用品の使用比率
(薬事統計 2000年)
 

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